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第10話 『六甲の雲いる嶺の、”い”論争』

六稜の星校歌の歌詞解釈で、長年議論が分かれていた一つの文字があります。

♪淀川の深き流よ、六甲の雲いる嶺よ。♪

六稜の星校歌3番

雲いるの”い”部分についての解釈です。

この雲いる論争をご存知の方は相当な北野通であります。

派閥は2つ。

「い」の漢字に「射」を充てて、地上から遥か上空の雲を射抜くように六甲を見上げている雄大な姿だと主張している山麓派と、「い」の漢字に「居」を充て、山頂から大阪神戸を見渡し、雲を従えている様だと主張している山頂派です。ちなみに国語科の恩師鎌田俊一先生(77期)は山麓派とのことでした。

土井晩翠による六稜の星校歌歌詞原本の記載は「雲”ゐ”る」でワ行のひらがなを用いていました。

 晩翠研究の第一人者、仙台文学館の先生(河北新報社の友人が紹介してくれました。)にご指導頂きながら、東京藝術大学の史料を調査している中、小生は1920年12月土井晩翠作詞の釜山公立商業専修学校の校歌歌詞中に、六稜の星校歌と類似した「山雲の表現」を見つけることができました。

天馬九徳の双の山、雲集る姿仰ぐ時

釜山公立商業専修学校校歌

晩翠は「雲集る」に対し、「クモヰル」とルビを付けていたのです。

雲いるは、「射」るでも「居」るでもなく、「集」る。

山が雲を集めている様子、土井晩翠オリジナルの情景描写でありました。

となりますと、

♪淀川の深き流よ、六甲の雲いる嶺よ。♪

六稜の星校歌3番

こちらの意味を取り直す必要が生じます。

小生の解釈で恐縮ですが、

これは北野芝田町校舎の上層階から北向きに見渡した景色だと思います。

東の淀川は幾つもの川を束ねて深き大河となり、西の六甲は無数の雲を嶺々に従え聳えている。川と雲は流れ、やがて北野の空と地に「集る」という何ともダイナミックな情景を描いたものと考えました。

皆さんいかがお考えでしょう?(第11話に続く

(文責:98期 佐野憲一)

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