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第03話『牧野富太郎のオルガンと北野校歌の不思議な縁』

創立150周年の2023年にドンピシャ! NHK連続テレビ小説は植物学者の牧野富太郎博士をモデルにした「らんまん」に決まりました

高知県高岡郡佐川町。高知市から西に20kmほどの山間に牧野富太郎博士の生家があります。岸屋という造り酒屋の長男で、小学校中退ながらも独学で世界屈指の植物学権威にまで上り詰めました。研究の傍ら音楽をこよなく愛し、自ら指揮者となって演奏会を主催したり、当時日本では珍しかったリードオルガンを輸入して自宅や村の施設で演奏会を開くなど大変多才な博士でありました。

牧野家から徒歩数分のところに林家がありました。林家には並木くんと八枝(やえ)ちゃんというご兄妹がいて、小さな頃から牧野富太郎の家によく遊びに来ていました。二人ともとてもお利口さんで八枝ちゃんは富太郎のオルガンを器用に操っては歌遊びをしていたそうです。

時を経て、お兄ちゃんは東京帝国大学文学部英文学科に進学、八枝ちゃんはお兄ちゃんを追うように上京し、東京音楽学校予科に進みます。そこで若き日の岡野貞一(2級上の本科在籍中)と出会うことになるのです。

東京音楽学校の様子

八枝ちゃんと貞一に交友があったのか残念ながら調べがつきませんでしたが、当時の藝大の生徒数は1学年が30名ほど、全校生徒顔見知りだったのではないかと思います。

岡野貞一は1878年鳥取の武士の家系に生まれました。幼い時に父を亡くし生死を彷徨うほどの貧困生活を送ります。鳥取教会に収容されて命を救われ14歳の時に洗礼を受けました。姉の結婚に伴い岡山の薇陽学院に入学、宣教師からオルガン演奏法を習得、礼拝当番を通じて日々演奏技術の向上に努めていました。当時賛美歌演奏ができた日本人は稀有でしたが、東京音楽学校に進学してからも岡野は日々黙々とオルガン演奏および作曲技能を磨き続ける大変真面目で一途な青年でありました。

お兄ちゃんの林並木くんは上京後英文科で一級上の優秀な先輩と大変仲良くなりました。先輩とは学生時代はもちろんのこと卒業後も非常に懇意にして頂いたそうです。先輩の名は土井林吉、若き日の土井晩翠です。岡野が東京音楽学校を卒業する前年の1899年、林八枝ちゃんは土井林吉さんとの結婚が決まり大学を中退して仙台に嫁ぎます。結婚した女子は学内に残れないという校則があったとは、大学史史料室長の橋本久美子先生談。

土井晩翠と八枝の夫婦

結婚から15年の時が経ち、ある日仙台木町通の晩翠自宅に北野中学校長梶山延太郎から一通の作詞依頼書が届きます。

郵便受から手紙を回収したのは八枝ちゃんだったのかな? 封筒の中には北野中学の先生方が記した建学の理念や歴史、大阪の地理など記された素材が入っていたのかな? 晩翠先生の作詞を奥様の八枝さんはサポートされていたのかな? 六稜の星校歌の歌詞完成後、仙台の郵便局から北野に発送手続きを行ってくださったのは八枝さんだったのかも。想像は無限に広がります。その後梶山校長からの作曲依頼書が東京音楽学校湯原校長に届きます。北野校歌の作曲指示を受けるのが八枝ちゃんの同窓岡野貞一君、何とも不思議なご縁でありました。

岡野貞一、63年の生涯で160校の校歌を作曲しました。1915年の作曲実績は1曲のみ、それが我が北野中学の校歌です。命を救われた恩返し、日曜日の本郷中央教会の礼拝のオルガン奏楽当番は全身全霊43年間、死の直前まで勤め上げました。(第04話へ続く

(文責:98期 佐野憲一)

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