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第13話 『六稜の星の形に沿って、歌詞を配置』

六稜の由來」については、9期高安六郎さんが『創立六十周年記念誌』に詳細を寄稿されています。(p.38-41 (1944))

要旨は以下です。


・開学後いつ頃からかは不明であるが、帽章は中學の「中」の字であった。

・1886年~87年頃から1、2年間、江戸堀の仮校舎時代に蝶型の帽章が使われていた。

・ある日蝶形の帽章が夜店で売られていて、「校威を傷つける」と生徒が通報してきたため学校は他の形に変えるのが良いと考えた。

・兵式体操担当の林正治教員が、陸軍の星章に因んだ形にしてみようといろいろ工夫したがどうも滿足できる案が浮かばなかつたので、同僚で数学科の森田専一教員に相談したところ、すぐに原案が出た。

・林が[図3]に[図2]を重ねた統合案を作成し、矢部校長が帽章として承認した。(1890年頃)

(註)図は小生がパワポで作成しました。


我が校の六稜校章は、帽章が起源です。

数学科森田専一先生デザインのヘキサグラムに北野中學の「中」を重ねたものが、基本コンセプト。

この基本形は130年以上変わらず、現在に受け継がれています。

さて今回は、

「六稜の星校歌は、校章の六稜星を歌っているという話です。

第04話で校歌二番の意味を紹介しました。

二番に関するポイントは、難波御堂から北野への校舎移転を、大阪平野を鳥瞰した地図上で南から北へ一直線に伸びるベクトルで空間表現しているということです。

空間描写は二番から三番に続きます。

淀川の深き流よ、六甲の雲ゐる嶺よ、名にし負う大阪の城 天才の高きかたみよ。

難波御堂から堂島、中の島を経て辿り着いた北野の新校舎。

窓から東に目を向けると、遠く京都の山々に降った雨が川となり大山崎で一つにまとまります。淀川は深い流れとなって北野に向かい、大阪湾で海と一つになります。

この時の目線は北東から南西へのベクトルです。

目線は大阪湾から遠く六甲に移ります。

見上げると六甲の雄大な峰々が雲を集めています。それらはやがて北野の上空を流れます。この時の動きは北西から南東への大きなベクトルです。

二番から三番に続く3つのベクトルと目線を北野の基点で合わせると六稜の星の校章となるのです。

二番の歴史で真南→真北を表現、三番は雄大な空間描写で北東→南西、北西→南東を表現し、六稜星を描いた後に南東目線の先に大阪城、ここにスポットライトをあてます。また、高→低→高→低で蝶型の中の字を表現している技巧も見事でダイナミックです。

大阪城を語る意味は、聳え立つ秀吉の城は技術や芸術の粋を集めた大阪の誇り武の象徴ですが、「北野には優秀な生徒が集まり、大阪城のように誇るべき学び舎であって欲しい」と対比させるためです。晩翠、素晴らしい。

第14話に続く

(文責:98期 佐野憲一)

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